「アベノミクスは浦島太郎の経済学だ」文字起こし

ビデオニュース・ドットコム インタビューズ(2013年01月26日)の「アベノミクスは浦島太郎の経済学だ」(http://www.videonews.com/interviews/001999/002647.php)の文字起こしをしました。浜矩子先生の話が大変面白かったです。
あわせて読みたい。浜矩子(著)『超入門・グローバル経済「地球経済」解体新書』 - http://www.nhk-book.co.jp/ns/detail/201301_1.html




(神保)
浜先生、アベノミクスの取材をしているのですが、特に金融の部分が一番私たちには分かりにくいのですが、まず全体として浜さんのアベノミクスと呼ばれる物に対する評価を最初お伺いできますか。


(浜)
私はそもそもこのアベノミクスという言葉が非常に気にくわなくて、何とかのミクスとかいう偉そうな名前を付けるに値する物ではないと思っている面があります。
もの凄くざっくり一言で言ってしまえば、これは浦島太郎の経済学であるということじゃないかという気がします。
5,60年前の感覚でバラマキ型公共事業をやれば経済が元気になるであろうと考えている。
円安にさえ持って行けばまた輸出立国で日本はどんどん成長できるのではないかと考えている。
もう一つ金融の世界について言えばこれは5,60年前という話ではないですが、10年この方ずっとゼロ金利で金融は緩みっぱなしにしているのに、全然デフレ解消に目処がたっていないわけですよね。
それにもかかわらず10年来やっていてうまく行っていないことを、もうちょっと規模を大きくしてやればなんとかなるのではないかと思っている。
そういう所も非常に浦島太郎チックであるなと今思っています。


(神保)
総論としては1、2、3と出ましたけれど、金融が3番目に出てきたということは、結局はこの本質はバラマキであり公共事業であり、また輸出企業をとにかく救済する所にあるという、そういう理解で良いのですか。


(浜)
そういう感じだと思います。
非常に古典的というか、若い経済ならこういう格好で活を入れるのはアリかもしれないですが、非常に成熟度が高くなった日本経済に対してこういう処方箋を当てはめるというのは、時代錯誤も甚だしいという感じがします。


(神保)
逆にその場合の弊害とか副作用も聞かなければならないのですが、その前に世の中は3本の矢とか、これもまた気をつけなければいけない、アベノミクスという名前とかに言霊が宿ってしまう所もありますが、1本目の矢と言われている金融について。
しきりとインフレターゲットと言われていたり、日銀と、それこそ今週ですね、すぐそこに日銀が窓から見えますが、日銀と共同声明を出したりということで、とにかく2パーセントの物価上昇率を目指すのだということを、金融緩和をすればそれが実現できると。
そうすれば円安になり、インフレになると思えば皆さんもお金を使うようになりという説明があり、要するに金融緩和をもっとすれば景気が良くなると。
カニズムについてはよく分からない物になるのではないかと、おぼろげに思っている方がいて、同時にたまたまどういう巡り合わせか分かりませんが、ここの所円安になったり株価が上がったりしてるということがあったものだから、本当に効くのではないかと思っている方も多いと思います。
だからそこをお伺いしたいのですが、金融についてはここ10年来やってきたのにダメだったと。
これを提唱している方々は、今までは規模が小さいんだと。
この10年とかのスパンでは2倍だの何だのなっているかもしれないけれど、それを毎年で見ていくと、あるいは増加率で見ていくと全然足りないので、もっとエンジンを吹かせば行くんだということで金融緩和が喧伝されている。
この点については浜さんはどうご覧になっていますか。


(浜)
まあ、その規模の話に焦点をあてて言えば、規模が大きい小さいという問題ではないと思うんですね。
そもそもいくら金余り状態がどんどん膨らんでいっても、このグローバル時代においてはその余り金が日本の国内で回るとは限らない。
生産的な投資に回っていく保障はない。
むしろここがなかなか皮肉な矛盾した所ですがゼロ金利ですから、ゼロ金利の日本国内でカネを回していても金利は全然稼げないわけですよね。
そういう中で投資家はなんとか少しでも収益を上げたい。
収益を上げたければ日本国の中でカネを回していてはダメだという結論になってしまい、だから外貨預金をやったりとかですね、それこそリスクはあるが高いリターンが期待できる新興国国債に投資したりとか、いろんな形で高収益を人々が追求すればするほど日本国内ではカネが回らないという状態になっているわけです。
やっぱりグローバル時代になっていて、ヒト、モノ、カネ、なかんずくカネが一番容易に国境を越えて動くということを計算に入れながら金融政策も展開しなければいけないわけですが、そこの所がスコっと抜けちゃった発想で一段の金融緩和ということを言っている。
いくら金融緩和の規模を大きくしても、結局ザルの如くそのカネはどこかに投機的な投資に流れていってしまう。
国内外においてそうであって実体経済が活力を取り戻すという方向には向かわないという、その辺の認識が抜け落ちていると思います。


(神保)
なるほど。
一方で金融緩和を提唱する方々の多くは、世界のどの国もインフレターゲットというのはやっている、世界の多くの国がやっている。
日本だけが、日銀が1パーセントを目処という言葉で本気度を示さなかったと。
今回は2パーセントで目標、英語でターゲットと訳せる物になったので、その本気度によって人々は本当に実現するのではないかと思うとお金を使うのではないか。
という説明を受けるのですが、これは世界的に日本だけが違うことをやっていた、だから普通のこと他の国と同じことをやれば良いのだ、という言い方をよくされるのですが、その実態はどうなのでしょう。


(浜)
実態は、まずはインフレターゲット的な政策をやっている国は他にも結構たくさんありますが、だけど今回のように物価を2パーセントに上げるということですよね、今回の目標の設定は。
これは実は日本だけだと思います。
他の国がやっているのと同じことを日本もやればという言い方はそういう意味ではおかしくて、日本以外の国で物価目標を設定していても、そこまで上げるという設定の仕方をしている所はないので、ある意味異様なことを一人でやろうとしている、そう受け止めるべき所だと思います。


(神保)
他の国では2パーセントまで下げるとか2パーセントで止めるという意味になっている。


(浜)
だからヨーロッパの場合は、2パーセント近傍だけど2パーセントより低い所におさめるとか、イギリスも2パーセントとかいう言い方をしていますけど、そこまで上げるという言い方をしている所はどこもないので、非常に意図的に政策がインフレを引き起こそうとするやり方をやっている所は他にはないわけです。
それについてはそういうことをすることが果たして良いのかということについて、それなりの警戒心も警戒感もあるから、同じインフレターゲットと言っても物価を意図的に上げるためにインフレターゲット使っていることは、実は他はしていない。
他の国がやっていることを日本がやっていなかったから、やればいいじゃないかということは、その言い方がそもそも間違っている、というか当たっていないです。


(神保)
意図的にインフレを起こすという政策は、問題があるとすればどこに問題があるのですか。
意図的にインフレを起こすような行為ですね。


(浜)
それは経済活動のバランスとか安定とかを、政策がまさに意図的に崩していくということになるわけで、それは非常に異様なやり方ではあります。
デフレが深化していくということは確かに問題ですけども、その中で起こっているいろんなことを是正していく、そういう所に照準をあてるのは良いですけれど、何が何でも物価を上げなくちゃ、物価さえ上がればすべてがうまく回ると考えるのは、もの凄く視野狭窄でバランスを欠いた発想だと思います。
物価ばかりどんどん上がっていって人々の生活実態は全然変わらない。
正規雇用者たちの苦しい生活には何ら変化がないということになったらば、これは変化がないということではなく、物価が上がる分だけ生活が困窮する人たちも出てきたりするかもしれませんよね。
その辺の問題もあわせ考えていかないといけない。
物価が明日上がるかもしれない、だから慌てて物を買わなくちゃという思いに人々が駆り立てられる姿、それを政策が作り出すというのはちょっと変ですよね。


(神保)
実際に2パーセントの実現可能性もお伺いしなければならないのですが、今の話にも出ましたけどインフレを意図的にするのは異様だというお話もありましたが、実際に仮にそれをやった場合に、それは回り回ってみんなにハッピーになる、という説明を受けているのですが、実際には中にも、もしかしたら本当に得する人も居るのかもしれないけど、そうでもない人も居て、実際にまわりまで全部ではたしてどうなのかということが別の問題としてあるのかなと思うのですが。
インフレを意図的に起こす、実現可能性は横に置いて、可能だったとして、誰が得して誰が損する、一般の我々市民にとってはこれはどういう意味を持つのかという点についてはどうでしょうか。


(浜)
それはもう一つの問題である賃金がそれにしかるべくついて行けばまあまあですけど、物価が上がる分だけ仮に賃金が上がったとしても、それは実質的に生活が楽になるわけではないですよね、購買力は増えないわけですから。
購買力が増えていかなければ、ちょっと余計に物を買おうかという発想にもならないわけであって、物価が上がるということに伴って、確実に人々の豊かさのレベルが上がるのであればめでたしめでたしですけども、そういう風に簡単に問屋が卸すという保障はいっさいないわけであって、逆に企業も物価が上がる状況になって、自分の作った製品とか自分が提供するサービスにちょっと高い値段を付けられるのはそれはそれでいいかもしれない。
けれども忘れてはならないのは、コストの方も上がってくるわけですよね。
しかも同時に円安も追求していることになれば輸入コストも上がる。
原材料等、輸入で賄っている分のコストは上がる。
国内の物価も上がるからコストも上がる。
その分を充分に製品の価格に転嫁するほどには、世の中の購買力が高まってない。
しかもグローバル競争の中ですから、そんなに高い値段を設定できないとなれば、自分がコントロールできない物価、そして輸入コスト、ではない部分でなんとかコストを抑制することを考えざるをえなくなります。
そうすると残った操作性のある動かせる余地のあるコストといえば人件費じゃないですか。
だから下手をすれば物価が上がり始めプラス円安が更に進む中では、コストをなんとかそういう状況でも抑制するために企業はますます賃金を押さえ込むということをせざるをえなくなるかもしれません。
そうしたらまったく本末転倒になってしまいますよね。


(神保)
少なくても金融緩和をすれば円安の方に行くであろうと。
そうすると、特に浜田先生なんかはエルピーダの話をされるのだけど、今の為替レートではエルピーダのような、対ドルで3割しかも対ウォンでさらに3割だということで競争できないと。
だから要するに円安に振れれば、特に輸出関連、自動車とか家電とか、そうした所が復活してきて、それが経済全体が雇用も含めてプラスに作用して、それが実需に代わっていくという説明があるのですが、この円安に行くから輸出関連が経済を引っ張って景気が良くなるという説明はどうなんでしょう。


(浜)
それはもの凄く古典的な考え方でこれこそ浦島太郎の経済学であると言っても良いかもしれません。
理屈としてはおっしゃるとおりの面がありますけど、今の生産体系がここまでグローバル化した状況であれば、自動車メーカーにせよ電機メーカーにせよ、確かに円安になれば完成品を売っていくという意味では楽になる面があるわけですが、でも一方で輸入コストが上がるということがあるわけです。
それこそグローバルサプライチェーンという物があって、その中に世界中の多様な国籍の企業たちが組み込まれている状況の中では、円なら円が安くなることによって一方的に状況が改善する得をする企業は非常に少ないと思いますね。
いろんな所から寄せ木細工のように寄せ集めてきた物で製品を作っている。
浜田先生が言われるそのイメージというのは、かつてのグローバル化が進んでいない時の日本の輸出立国の姿ですよね。
原油とかを除けば、国内で純正国産部品で純正国産完成品を作って、それをアメリカの市場とかヨーロッパの市場に出していくと。
こういう姿であれば、それは確かに円安であるということは非常にカミカゼ効果を持つわけですけども、今や日本企業の生産体系も国内だけで全部自己完結しているケースは非常に少ないわけですので、輸出が増えるということはすなわち輸入も増えるということに繋がるような構造になっているわけです。
そうすると円安は明らかに諸刃の剣であって、一方的な勝ち要因になるという時代ではもはやない、そこを忘れてはいけないですね。


(神保)
今の話をまとめると、一般の市民生活においては石油も高くなるから輸送費なども上がってしまうので、物価全体に影響あるでしょうし、食料が、原材料が上がるので、値上げする可能性が高いですよね、パンなんかもそうかもしれませんが。
それでいて必ずしも賃金に同じくらいの比率あるいは賃金がプラスになるとは限らない。
場合によってはマイナスになるかもしれないという話だと、普通の市民からすれば、仮に実現できたとしてもあまり良いことがないかのように聞こえるのですが、それはそういうことなのですか。


(浜)
良いことがないおそれの方が半分以上はあるということで、単純に物価が上がればオッケー、円安になればオッケーという時代状況ではないということを考えておかなければいけない。


(神保)
逆に良いことにならない可能性の方が大きいということですが、うまく行く可能性もなくはないということですか。


(浜)
私はうまく行く可能性は非常に低いと思います。
今日本の経済、あるいは日本以外の先進国もそうですけれど、必要なのは成長戦略ではないと思うのですよね。
そうではなくて成熟戦略だという言い方を私はずっとしているのですけど、成熟して豊かな経済の中でいかに分かち合いをうまくやっていくか、というそこが一番の勘所だと思います。
すでに成長しきっちゃっている経済をさらに2パーセントとか3パーセントとか、実質的に規模を膨らませていくということは、そのためにもの凄くそれこそ財政赤字を一段と大きく膨らませなければいけないという非常に多くの代償を払うわけですよね。
そこまでして、本来もう成長する必要のない経済を成長させるよりは、ここまで豊かに蓄えられてきている富を上手に分かち合うということのために神経をさき、政策体系を作っていくことを考える方が今日的なやり方だと思うんですよね。


(神保)
成熟戦略について最後具体的に一つか二つ聞きたいと思いますが、ちょっと名前をそう呼ぶなと言われていて呼ぶのはアレですが、アベノミクスについてもう少し掘らせてください。
まず、最後に金融の部分でもう一点だけ、実現可能性。
実際に実現するのか、そこの日銀で今週会合があった時に、元々金融緩和の一番のサポーターであったはずの二人の政策委員が、実現可能性がない物にコミットするのは良くないという理由で反対意見を言ったと。
あまり議事録も出てないしインタビューも受けていただけないのでそれ以上のことは分からないのですが、ただ実現可能性がない物に2パーセントなんだと、それにコミットするのはいかんと言って二人の民間出身の方ですけども、木内さん佐藤さんというお二人が、むしろ一番金融緩和の提唱者であった二人が反対をしたということもあって、実現可能性について一部では疑問視する向きがあるようですが、浜先生はどうご覧になりますか。
実際に2パーセントのインフレというのが今の日本で、先ほどもずっと緩和をやってきたのだけどならなかったという主張がある一方で、全然ふかし方が足りなかったんだ、もっとふかせば行くよという意見もあるのですが、そこはどうでしょう。


(浜)
ふかしたらバブルになるだけであって、物の値段が確実に上がるという保障はどこにもないですね。
どうしても2パーセントの物価目標を達成したいのであれば、もしかしたら強制的な物価統制というかですね、明日からすべての物の値段を2パーセント上げろという強権発動的なことをやらないと無理かもしれないですね。
そういう強権発動は今のこの政権は好きかもしれませんけども、そんなことをやったって何の意味もないわけですけども、それくらいのことをしてでも数字あわせをするという位のことしか、それを実現する手立てはないんじゃないかと思います。
まさにずっとやってきたことを規模さえ大きくすれば良いであろうというのはその力学は変わらないわけですから、そこは全然理屈として通っていないと思います。


(神保)
そこで先ほどの副作用について金融の部分についてお伺いしたいのですが、実際にはそう簡単には2パーセント上がらないだろうと。
ただオープンエンドで無期限でとにかく2パーセントまでやるという、なぜか2014年からなんですけど、やるとなっている。
そうするとどんどんふかしていくと、車が前に進まなくてもエンジンだけはどんどんふかすと、でもなかなか物価は上がらない。
ということはふかし続ける、もっとふかすということをやるということですね。
日銀がどこまで本当にやるかどうか今はまだ分かりませんが、少なくともアベノミクスとしてはそれをやるんだと言っている。
なかなか物価が上がらない、じゃあもっとふかせと言って、それこそ半年間で50兆という様な規模の数字も一部出てきていますが、そんな規模でふかした場合、どういう副作用とか弊害が生じることを我々は心配しなければいけませんか。


(浜)
それはずばりデフレ下のバブル経済化ですよね。
肝心のデフレは払拭されない。
製品の世界、実物の世界は冷え込んだままで、ふかしてふかして山のようにふくれあがったカネは株とか不動産とか金とか、そういう投機性の商品にどんどん回っていってしまうと、デフレとバブルが共存する、同時進行するというのは基本的にありえない話のはずですけども、だけどそれが恐れられる状況になっていると思います。
製品デフレと資産インフレが同時進行という非常に奇異な姿を呈してくる恐れがあると思います。
今までも金融緩和をやっていたことによってそういう側面が出たり消えたりしていたのですけども、この調子でふかしにふかしまくりきるとなれば、本当にはっきりそういう構図が出てきてしまうおそれが多分にあるだろうと思います。


(神保)
お金を刷った以上どこかに行かなければならないので、でも欲しい物がないから資産の方に行くと。
そうすると株価とか金とか金融商品、不動産、その辺がバブルで値段が上がっていくと。
でも相変わらずデフレである。
これは一般市民社会には、なかなか資産に縁がある人は必ずしも多くないと思うのですけど、小さいながらも自分の家を買いたいとか持っている方は居るかもしれません。
一般の市民生活という意味では、もしデフレバブルのような物になった場合、どういう風に影響するのですか。


(浜)
まあ、バブルになればバブルは必ず破綻するわけであって、破綻した時にちょっと波に乗っちゃった人はそこで大きなロスを被るということになりますし、妙な株や不動産の値段が上がるということに伴って、変な波及効果で上がって欲しくない物の値段も上がるという側面もあるかもしれません。
そうすると賃金は上がらない購買力は全然変わらない人たちには、それが打撃になってくるわけですよね。
だからまあ百害あって一利なしですよね、そういう意味では。
バブルが破綻すれば、仮に自分たちはバブルに乗っていなかったとしても、それに伴って恐慌状態になってくれば、また職場が危うくなる賃金はまた下がるかもしれないという様なことになるわけで、ベースはデフレな所にバブル化するということは、バブルが破綻した時の痛みは二重三重に重い物になるということです。


(神保)
なるほど。
三本柱の中の一番今全面に出てきている金融緩和による景気浮揚というのは、どうも実現の可能性も低いし仮にそれでもやり続けた場合は市民社会にとっては、先ほど百害あって一利なしとおっしゃいましたが、あまり良いことが起きない可能性が高いと先生は見ておられるのですね。
そこで問題はむしろ浜さんは最初、浦島太郎という理由の中に金融は3番目に出てきて、むしろバラマキ型であって円安輸出立国型であると話をされていましたけど、まずそもそもアベノミクスで金融があれだけ全面に出てきているのに、実は本質はバラマキであり、円安の輸出なんだと浜さんがご覧になる理由は何なんですか。


(浜)
やっぱり彼らが言っていることのリストを眺めてみると、そこに非常に自民党政権がずっと続いていた間に言ったりやったりしていたことの影と言いますか、その色彩がにじみ出ている。
それこそ何十年も前の言葉で物を語っているという印象が非常に強い。
そういう感覚があって、そして円安になれば輸出が伸びるでしょうというこの単純な因果関係の発想なんかに、実に古色蒼然たる物を感じるわけですね。
公共事業をやって国土強靱化という言葉を付けてはいますが、やっていることは列島改造じゃないですけども、そういうような感覚がにじみ出ている。
そういう古さプラス金融政策を強引に自分が意図する方向に引っ張っていこうとするという、そういう金融政策は思うようになるのだと考えている所にも浦島太郎的な所は多分ににじみ出ているかなと思います。


(神保)
自民党が今打ち出している公共事業の中身というのは、今回政権交代して新しく自民党が政権についたわけですが、以前の自民党と、浜さんがご覧になる限り本質においては変わっていないと。


(浜)
変わってないと思いますね。
そもそも公共事業という物を景気対策として使う発想が最早古いと思うのですね。
国土強靱化は景気対策的な効果がなくてもやらなければいけないことですよね。
一定の公共事業をやればどんどん波及効果が広がって、二重三重に経済の活性化効果が出てくるというこの発想でいろんなメニューを用意しているということを非常に強く見て取ることができると思います。
これがやっぱり古いですね。
公共事業というのは成熟経済においては、経済社会に対するサービス、インフラ上のサービスと言いますか、そういう物がより豊かになるためにやっていかなければならないことではある。
だけど、もはやカンフル剤の効果があるという種類の物ではないという認識から出発すべき所なのに、相変わらず道路を通せばそれでわっとその辺の周辺が豊かになり、橋を架ければそれで経済活動が活力を高め、近代化が進み、みんな豊かになれるというそのイメージの古さですよね。


(神保)
いまだに乗数効果の話をしてますよね。
実は公共事業についてはインフレターゲット論者の浜田先生も economic stimulus(景気刺激)としては使うべきではない。
むしろ国民の生活を豊かにするためのインフラ等に使うべきとおっしゃっているのですが、そうすると先生、どうも公共事業においてもそれから輸出立国論も円安にして輸出立国にしていくことも、どうも古い自民党の体質を引きずったままであると。
そこに今回金融緩和が乗っかってきて、ただ金融緩和というとなかなか専門的な世界に引っ張り込まれて、普通の人は分かりにくいのだけど、よくよく聞くと要は国債を買おうという話ですよね。
国債を公共事業をバンバンやるのだったらどんどん出すことになるのだけど、それは日銀がどんどん買うから、金利が上がったり国債が暴落したりする予防策にこの金融緩和がなってしまう可能性がある。
そういう意味では、なるほどよく考えられたパッケージだなあと、良い意味も悪い意味も含めて思ってしまうのですが、そこは先生どうなんでしょう、やはりそういうパッケージなのですかこれは。
公共事業をやるけどいくらなんでも公共事業だけはどんどんやりますという政策を今打ち出すと、浜さんがおっしゃったような批判は当然でるでしょう。
民主党がコンクリートから何とかへと言った後なので、みなさん飢餓感があるのかもしれませんが、公共事業セクターではね。
当然そこは批判が来る可能性があると。
あるいは輸出企業だけに何か有利になることをするというのも一部批判が来る可能性がある。
でもそこに金融緩和が乗っかってるから、何か言い方は悪いですが、そちらに目が皆さん行ってしまっていて、どうも浜さんがさっきおっしゃっていた1番2番という点が、本来ほど批判を受けないというか、全面に出てきていないというような印象をいろんな方にお話を伺って感じたのですが、その辺はどうですか。
結局金融緩和というのは何か全部を、ごまかしとまでは言うとあれかもしれませんが、分かりにくくしていると、特に素人に分かりにくくしているという感じがしたのですが、どうでしょうそれは。


(浜)
おっしゃるとおりだと思いますね。
さらに言えば、金融緩和は何のため誰のための金融緩和かと言うと、これはむしろ日本国政府のための金融緩和ではなかろうか。
インフレターゲット日本国政府のためのインフレターゲットなのではないかという気がするのですね。
それは何を言いたいかというと、この調子であれば日本銀行は次第に日本国債買い取り専門機関になっていってしまいますよね。
そうやって日銀が買ってくれるということで、財政健全化のくびきから解放されるということがある。
そして、しかも金融大緩和によってもし物価が上がっていくことになってインフレが進む、そしてバブル化していけば、政府の借金を返す負担も非常にインフレによって軽減されてしまうわけじゃないですか。
そういう逃げ切り路線に向かってこの金融緩和を一石二鳥で使おうと。
インフレにはなるわ、国債は日銀が確実に、市場からとは言え、事実上直接引き受けに近いような格好で買い取ってくれるわと。
この金融緩和は日本経済のためではなくて、安倍自民党日本国政府のためなのではないかなと、実はそこが本音じゃないのと。
そういう魂胆に我々はごまかされてはいけないなあと思ったりします。


(神保)
結果的に表面から見える現象面においては、一部とは言え公共事業によって潤うセクターも出るし、一部とは言え円安になれば輸出セクターはそれなりに潤うかもしれないし、バブルなんかでちょっと得をする人も出るかもしれないし。
問題は、まったくそれに関係ない人たちが悪影響ばかり受けるようになると非難囂々になるかもしれませんが、なんとなく世の中全体がそれでうまく行ってるのではないかという空気になってしまえば、それはさっきの3本柱がある意味では、先生がおっしゃったように誰のためかということにちょっと目をつぶれば、うまいパッケージングになっているような所があるように見えるのですね。
それはそれで整合性がとれているような。
誰のためかは除けばですよ。
なのでそうするとついついそれに乗ってしまうような空気が、社会全体が出てきてしまう可能性がありそうでちょっと心配なのですが、結局その場合の、さっきの金融の場合の副作用の話をお聞きしましたけど、金融のみならずバラマキがそれによって行われるとか、
旧来方式の公共事業ですね。
それから円安誘導が行われて、それで金融緩和でインフレを起こして云々ということが起きた場合、結局は行き着く先、それの副作用や弊害というのは、我々一般市民レベルではどの辺を注意して見ていなければいけないと思いますか。


(浜)
そうですね。
市民レベルで言えば一つは一段と格差が拡大していく、豊かさの中の貧困問題と言ってもいいでしょうかね。
正規雇用者が置いてきぼりを食うとかいう側面がどうなっていくか、ということには非常に神経を配っておかなければいけないと思います。


(神保)
格差が広がる可能性がある。


(浜)
はい。
ということがあるのと、これは日々の市民生活に即影響が出てくるということではないかもしれませんが、仮におっしゃるように一見うまく回っているような感じになってしまうと、そこで日本経済は足踏みですよね。
せっかくその体質がちょっとずつは変わってきて、多様性に富み分かち合い支え合いの方向性もちょっと出てきて、成熟経済らしい成熟した経済社会らしい姿に向かって進み出すかなあと見えていたのが、それこそ浦島太郎の経済学と共にまた逆戻りしていってしまう。
本来は逆戻りできる物ではないので、若返ることができるわけでもないから、非常に無理をする状態になっていく。
下手をすれば1985年のプラザ合意の当時のように、あの時が日本経済の体質や構造が大きく変わる一つのチャンスだったと思いますが、でもそれを恐れてあの時も金融を大緩和し、本来ならば上がっていこうとしている円相場をたたき落とし、現状維持に躍起になったわけですよね。
その結果としてバブル経済になり、失われた10年になっちゃったわけです。
またそれを繰り返すのかという問題がそういう大きな問題がここには存在していて、かつあの時よりは財政状態が全然悪いわけですので、そういう無限ループでいつまでたっても前に進めないという袋小路に実は自らを追い込んでいるという所を、本当はそういうことなんだと頭の片隅に置きながら見ていくことが必要なんじゃないかと思います。


(神保)
格差が広がるというのは、3本の政策によって利益を受ける人たちとそうじゃない人たちが両極に分かれるということで格差ということですか。


(浜)
そういうことですね。
公共事業で一部潤う所が出てくる。
だけど、従来のような波及効果とか乗数効果はないから、一部特定のセクターが潤うだけで終わってしまうと、そういうことです。


(神保)
あるいは資産周辺の。


(浜)
それこそバブル化すれば元々資産を持っている人は豊かになるけど、ない人は関係ないから取り残されていくということ。
むしろ物価が上がってしまえば生活は苦しくなる。


(神保)
なるほど。
最初に浜さんがおっしゃった成熟戦略の事なのですが、体質的にもちょっとずつ変わり始めていたようなのにまた戻ってしまうとのご指摘ですが、まずそもそも変わり始めていたというのは、片鱗というか萌芽はどの辺に浜さんは元々見いだしておられたのですか、日本経済が良い方に変わり始めたみたいな所ですね。


(浜)
例えばシェアビジネスが結構はやるようになって、分かち合いの中に新しい展開の可能性を見いだしていくという方向性が出てきていた。
後は、これは一見変なことを言うと思われるかもしれませんが、若者たちが草食化し海外に行きたくないということを言い出している。
これは非常にまずい現象だと言われますけど、実はそういう彼らの思いが、この疲弊している地域社会の活力を取り戻すことに繋がっていくかもしれない。
里山資本主義という言葉を最近ちょっと使っているのですけども、地域に人々が戻っていって行って限界集落などに若者たちが入っていって、高齢者と共に新しい生活の形態を作っていく、そのような方向性がちょっと見えてきていたわけですよね。
これはそういうのがそれなりに広がっていくと、実は驚くべきことに、結果的に成長率が高まることになるかもしれない。
そういう新しいライフスタイルにちょっとみんな目覚め始めた所があって、エコでスローで優しくてみたいなそういう所が、まああまりひたすら元気がなくなって引きこもりではまずいですけども、そういう所は注意を要しますが今までとは違う形で経済社会を回していこうという思いや雰囲気や傾向というのが結構出てきていたと思うのです。
絆という言葉を非常に心地よく人々が思うとか、そういうのはマイナスに受け止めれば元気がないじゃないか、だらしないじゃないか、ハングリー精神がないじゃないかということになりますが、実はそこに成熟経済社会の新しい展開の萌芽を見いだすこともできるのではないかと思うのです。


(神保)
なるほど。
とするとアベノミクスではなくて、今の浜さんがおっしゃるような成熟戦略という中において政府の役割というのは、どういうことは政府はできるのでしょうか。


(浜)
政府の役割は痛みの緩和、そういう状況の中でもどうしても取り残されていく、あるいは置いてきぼりを食うような所に手当をしていくということですね。
端的に言えば弱者救済ということになりますが。
民間の経済が事実的に回っていく中ではどうしても吸収できない人々の痛みを緩和する、そして分かち合いから取り残された人たちに対応する物を、分配がしかるべく形を取るように気を配っていく、そういう所だと思います。


(神保)
未来を予想するのは鬼が笑うかもしれませんが、最後に浜さんはアベノミクスの行き着く先というのは、命運というのはどうご覧になっていますか。


(浜)
行き着く先。
そうですね、アベノミクス恐慌が起こるという感じですかね。
デフレ下のバブルがどうしようもない所まで行って、デフレの状態の中で恐慌が起こるというあり得ない姿をもたらしていってしまうかもしれないと思いますね。


(神保)
その可能性が非常に高いと。


(浜)
どうしてもそういう風に見えてしまうということです。


(神保)
一方でクルーグマンが言うように、理由が何であれうまく行くような可能性はあるんですか、今回は。


(浜)
そうですね、それこそ一見うまく行っているように見える時期が一時期はあるかもしれない。
けれどもそう見えれば見えるほどそこに大きな落とし穴が広がっていくということではないでしょうか。
その意味でのもう一つの問題は、安倍政権の経済政策というのは市場との行き過ぎた対話を目指そうとしている所があることですね。
つまり株が上がればいいでしょう、円が安くなればいいでしょうという物で、一生懸命株が上がるような方向に、そういう方向に繋がるような物の言い方をする。
円安が進むような、ちょっと円安が是正されようとすると、それこそ浜田さんなんかがまだまだと言ってまた叩き落とす。
こういう風に市場にターゲットを余りにもあわせて経済政策をやっていると、結果的には自分たちの方が市場に振り回されるということになると思うのですね。
株が絶対下がってはいけない、株が上がり続けることに繋がるような物の言い方、振る舞い方をしなければいけない。
こうなってきたら完全に自分たちの方が市場に振り回されているわけで、それはやっぱり政策責任者のやることではないと思いますが、市場の最終的な逆襲によってこのシナリオが全部崩れるというおそれも多分にあるということですね。


(神保)
それこそ国債を最後日銀が買い支えなければならなくなる状況も、もしかしたら同じようなことかもしれないですね。
日銀が止めたら暴落してしまうということで、しょうがないシーンも買い続けるしかない。


(浜)
ということは日銀の手元に不良債権が貯まっていくということですよね。
中央銀行の手元が不良債権で一杯一杯になってしまう恐ろしい状態はちょっと考えたくもないですけど、これじゃあ日銀経営ダメだなと思われたなら、それこそ円という通貨は円安どころではなくて、値段が付かないというような消滅の危機に瀕するということにさえなりかねない。
そういう本当に劇薬で一杯の浦島太郎の経済学だと思います。


(神保)
最後の最後なんですけど、アベノミクスに対して、特に金融緩和に対して懐疑的な立場を取る方の多くは、本当はそこじゃなくてきちんとした成長戦略があるかなんだということを言う方が結構おられると、金融緩和に疑問を呈している方の中で。
要するに規制緩和であるとか構造改革をしっかりやれば成長をもっとできる可能性があって、そっちが本当にやらなければいけないことなのに、やりたくないからできないから金融緩和とかでごまかそうとしているから邪道であるという指摘も多いのですが、浜さんの今日のお話というのは、そもそも成長しようとする所にどうも問題があると。
最後そこの一点だけお伺いしたいのですが。
いやいや成長戦略をやるのが本当の経済政策、経済改革であって、金融は邪道だという物と、浜さんとの立場の違いですね、最後にお話し願えますか。


(浜)
はい。
日本経済のような到達度に達している経済が、毎年さらに拡大しなければすべてが終わってしまうという様なことはないですよね、別に。
ずっと仮にゼロ成長が続いたといったって、それで経済活動が止まるわけじゃなくて、今のレベルでずっと回っていくわけですよね。
この到達度の状態でずっと行くのであればそれは何の問題もないわけであって、ともかく成長するということに対して、そういう面では誤解があるのではないかと思う。
前年よりも日本経済の規模が必ず大きくなっていかなければいけないというのはもの凄くしんどい。
小さい、これから伸びていこうという発展途上の経済ならば、どんどん前年比で伸びていきますけど、ここまで大きくなった物がどうして前年に比べて未来永劫確実に大きくなって行かなければいけないなんて、そんなこと不可能ですよね。
人口だって減っていくわけだから、そんなに経済のパイが大きくなってなくたって、より少なくなった人々が生活をしていく上ではしょうがないわけで、成長するということの意味にそもそもちょっと誤解があるのではないかと。
これがどんどん縮小しちゃって、急速に急激なペースで日本経済が小さくなっていく減っていく人口さえも支えられないのであれば問題だと思いますけれど、確実に大きくなっていかなければいけないと思い込む理由がどこにあるのか、それが私には逆に分かりませんね。


(神保)
量的な拡大のみを今まで成長と考えていたけれど、むしろ質的な成長もありうるという理解で良いのですか。


(浜)
量的には大きくはならなくたって、もの凄く豊かな富があるわけだから、それをうまく分かち合うことによって、分配がうまく行けば、実は格差のどん底にいる人たちは全然経済活動に貢献できていないのですけども、彼らも経済活動に参加することができる、ということになれば、それこそ結果的に成長率だって高まるかもしれない。
包摂度を高める、弱い者も力のない者も抱き止められる状態になってくると、みんなが経済活動に貢献できるようになっていきますよね。
そこを目指すべきなのであって、ともかく前年比で見た成長率はプラスにならなければいけない、それも3パーセントくらいは欲しいよねとか言っている、これ自体が古いと思うのです。
成長率は結果であるという風に考えて良いのではないかと思います。


(神保)
むしろ量を増やすため量的な拡大をするために無理なことをやると、かえって富が縮小してしまうおそれもある。


(浜)
ことにもなりかねない。
成長を目指すが故に人をふるい落としてしまうということにもなりかねないわけですよね。
イザナギ超えの景気拡大ということが言われた2002年以降、日本経済は成長しているのですけど、成長しているけどデフレから脱却できるわけでもない。
格差はむしろ成長し始めた所から拡大しているわけですから、成長するということが今や必ずしも人をハッピーにする、人間の生活を豊かにするとは限らないという局面に入っているという認識に立って物を考えるべきだと思うのですね。


(神保)
先生、そういうフェイズに入ってうまくそれを実践できている国というのは世界にはあるのですか。


(浜)
少なくともこの日本のようなスケールでそれをやった所はないですね。
だから今や日本がパイオニアです。
日本の前には誰もいない。
日本の背後で地球経済上のその他大勢の国々が、このグローバル時代における成熟経済社会、それもこれだけのスケールの物を日本がどう回していくのだろうというのを固唾をのんで見守っているという状況だと思います。
そういう意味では舞台中央に立っているので、うまくやれば大スターという所に来ている、
それが今の日本の状況だと思います。


(神保)
先生、何か僕の方で本来は聞かなければいけないことで聞きそびれていることで、先生の方で最後何かおっしゃりたいことはありますか。


(浜)
いや、もう相当…。


(神保)
ありがとうございました。


(以下略)