第5回 九条の会 全国交流討論集会 小森さん、奥平さん、澤地さん、大江さんの文字起こし

2013年11月16日の九条の会全国交流討論集会の文字起こしです。完全ではないけれど取り急ぎアップします。奥平先生は聞き取りにくい所がありました。
渡辺治さん、浦田一郎さん、柳澤協二さんの文字起こしはこちら。http://d.hatena.ne.jp/zakinco/20131128/p1
(2013.12.25追記 少し修正しました)

小森陽一さん

皆さん、おはようございます。全国各地からお集まりいただき本当にありがとうございます。
司会からもありましたように、第2次安倍晋三政権のもとで、日本国憲法9条は、極めて危険な状態に置かれています。11月7日に国家安全保障会議関連法という法律が衆議院を通過して参議院に回されました。そして同じ日に特定秘密保護法衆議院で審議入りをしました。この二つの法律がどのように繋がっているのかをしっかりと私たちは、抑える必要があると思います。
国家安全保障会議というのは、単なる一つの会議ができるという事ではありません。これは首相や防衛大臣あるいは外務大臣といった、少数の官僚で、日本の外交や安全保障の問題を討議し、判断してしまう、まさに軍事的な行動を行うことをそこに集約して、判断する、そういう会議が作られようとしているわけです。当然のことながら、アメリカとの軍事的な情報を共有することになる。そのことを口実に特定秘密保護法が必要不可欠だと、こういう論理で押してくるんですね。そしてこの法律を通した後、年末には、安全保障をめぐる様々な全体像を持った法律が出されていく。そして、それがそろえば閣議決定だけで自衛隊が海外で武力を行使することを可能にする。これが今問題になっている集団的自衛権の行使の容認ということになります。つまり、本来であるならば、きちっと国民に憲法の問題を問わなければならない。そのことを一切問わずに、国会の中での法律を積み重ねていくことによって、解釈改憲を進めていく。今までの歴史になかった極めて危険な状態が進んでいます。
その上で、今何が一日一日おきているのか、これをどれだけ早く、そして正確に多くの国民に伝えることができるかどうか、ここにすべてがかかっています。今これほど九条の会の草の根での活動が求められている時はないと思います。その意味で今回は初めて、この九条の会の交流討論集会の中で、シンポジウムを午後行うことにしています。今日ここで語られる。一つ一つの事柄をぜひ正確に皆さんそれぞれの九条の会にお持ち帰りになって、そして今日から新たな、そして力強い草の根の運動を始めて行く機会にしていきましょう。一日一緒に頑張りましょう。よろしくお願いいたします。

奥平康弘さん

奥平です。おはようございます。非常に限られた時間の範囲内で大問題の一角を語るのは、存外難しいので、ある一点に絞ってお話をするつもりです。ある一点に絞ってというのは、今先程小森さんがおっしゃったような全体の状況を現在の改憲問題にという言葉で象徴される政治の変化についての状況を、ごくごく一般の特質を示すであろう事柄、主として特定秘密保護法案というものを僕がどう考えるか、僕がどう見ているのかということを、一般論的に語ることで、あっという間に時間が経つと思います。つまり、各論的な個別的な法案の一つ一つの問題点というのは、指摘することをせずに、基本的には我々は絶対通してはいかん。通したら大変なことになる、通したら内堀は埋められる。憲法改正問題の状況で言えば内堀は埋められる、そのような目録のもとで作られたということ。

この問題との関係で念頭にあるのは、国家が秘密を持つということはどういうことなのか。国家が戦争するということはどういうことなのか。国家はそもそも戦争をする権利があるんだということ。権力があり、国家権力というものは戦争をするもんだ。国家権力というものは軍事力を持つものだ。国家権力というものは軍事力がいかに組織されるかということを自由勝手に決め、国家権力というものは戦争をする時期もそのタイミングも決める、それが国家というもの。それは国家という主権の問題というふうに考えられている。17世紀あたりから近代国家的なるものができ上がるとともに、国家という属性をどんどん追求していく中に、20世紀の世の中で、国家というものはということが我々に迫ってきたということがあり、僕たちは国家というのはなんだということ、国家とは何のためにあるのかということ、それを抑制するために憲法がどのようにあるかということを勉強して来たはずだし、今その問いに対して向こうは決定的な一撃を与えようとしているのに対して、僕たちはどのように抵抗を進めるかという風に思う。僕の背後には、国家とは何かがある。これは非常に象徴的に言えば、国家というものが僕の子供の頃の国家というものは、たった一枚の50銭のはがきで人を戦争にやる権力があった。赤紙一枚で1円にもならないはがきで。僕は子供心に本当に不思議に思いました。どうしたらこういうことができるのか。人が死ぬかもしれない戦いに、強引に持っていく。その権力があるんだということを当然の前提として、大日本帝国憲法が存在していたということ。これは、戦争が終わってから自分が青年から大人になる過程で、常に僕自身に問うてきた問題、国家とは何か。その時に僕は国家とは何かということを考えるについて、やはり基本的には、国家というものは軍事力を持ち、この軍事力をどのように構成して、どのように戦争宣言をするかということは国家の属性である。本質的属性であると考えられていたことの意味を憲法学を勉強する過程で、いろいろと考えて現在に至っております。今も依然として僕は国家とは何だということを考えています。
さあここで考えている中で、今、特定秘密保護法案が、非常に国会で議論されている。僕の問題のポイントは、アレを通しちゃいかん。アレを通すということは憲法九条を改正する道に繋がる。あとはどのような憲法がどのように改憲するかという中身については、ご承知のように96条で単独先行で、まず96条を改正してしまってそれを足がかりに、やって行こうとしていたあの線は、我々の戦いゆえにつぶれてしまったと僕はみている。今度出てくるときには一体何が出てくるのか、どういう形でてくるのか。向こうも今の戦いの中で考えている。これから新しい形で憲法改正草案というものが出てくるに違いない。全文改正という答え、それは自民党55年体制以来の念願であって、全部ピンからキリまでこれはアメリカ軍が押しつけたものだからと言って、ピンからキリまで改正する、という形の中で進んできたし、去年の4月に出された法案もそうでしょ。ずーっと何十年来それをしてきた状況、そういう憲法改正のポジション、姿勢をどのように考えるかということ、今連中は一生懸命考えていると思う。で、それを考える一つの中で、国家の安全保障体制をどうするか、合わせて基本的なこととして、そのようなものの国家の活動をどのような部分は国民に知らせないで、自分たちだけでやっていくか。そういう制御に携わるのが特定秘密保護法案ですよね。
それは僕は、国家というのは何だ、国家はなぜ秘密を持つのか、秘密ってなんだ、ということを考える中で、すみません、ちょっと外国の例で、僕の中では、研究者になりたての頃、生じた事件。アメリカの1971年、ベトナム戦争との戦いの中で出された問題があります。
これは、ペンタゴンで作られた報告書、ベトナム戦争がどう戦われてきたか、どのような行動でどうやったかということを文書にした1冊の本にした報告書が作られたらしい。内部にいる戦略関係で上級分析をしていたエルズバーグという人が、これはだめだよ、こんなひどいものは報告書としてまとめられているというのは、これは許せない。こんなことでアメリカ軍がベトナムで戦っているなんて許せない、国民の1人として許せないというので、彼はこれを新聞社に発表するためにスーパーマーケット行って、なぜスーパーマーケットに行ったかというと、彼が所属してる研究所では、そんな物を増す刷りできませんから。スーパーマーケットに行って有料でペンタゴン文書をコピーし、まず第1にニューヨークタイムズワシントンポストそしてボストングローブ等々いくつかのグループにそれをばらまいた。それでびっくりしたのがニクソン政府。さあどうすると、大変な議論をした。それがまず一日ニューヨークタイムズに載った。そして今後、毎日ニューヨークタイムズの紙面に登場して、読者に見せるという意図をもってニューヨークタイムズはこれを公開した。公開するについてニューヨークタイムズは、ものすごいでっかい会社ですから、それの編集トップそして弁護士との会合、いろんなことをやりながら、これは絶対に見せるべきだ、これを見せなかったら国民を愚弄したことになる。国家はこれを自分たちがやったことを国民に知らせる必要がある、という観念から断固としてやろうと決意し、これはまた大事なことなんだけど、あの大ニューヨークタイムズがこぞってピンからキリまで、これは国家の秘密としたままにしてはおかしい。それだったら国民じゃないよ、アメリカ国じゃないよ、ということで、第1日を出したんです。
出した途端にニクソン政府の中でこれをどうするかという大問題が生じた。いろんな事をいろんな風にやって、結局ニクソン大統領の名前で訴訟を起こした。訴訟を起こしたのは、刑事罰ではなく、大統領の特権、大統領が戦争遂行の最高権力を持ってる国ですから、大統領の名においてあれは戦争をやっている国としては遮断する。絶対に秘密だというので大統領が原告になって差し止め請求をしたわけです。つまり明日から載せるなという緊急のストップをかけた。
そんなような状況の中で、結局において、結論的に言うと、連載中のものをストップをかけるということは事前規制である。まだ出てもいないものを一番初めの所だけ出し、後ろの方は出さない、という理屈に最高裁判所9名が、いろいろな議論の結果、第1審、第2審、第3審いずれもこれは秘密じゃないよと言ってきた裁判所の理屈は、これは秘密か秘密でないかという問題ではなくて、大統領にはそんな権限はない。連載中の物にストップかけるということは、これはもう憲法表現の自由報道の自由に反するという1点だけに絞って、非常に制度的な問題に限って大統領には権限がない、ということで差し止め請求をストップした。従って最終的にストップしちゃったということがある。

僕が話をしようとすることは手続き一般じゃなくて、その結果、待ってましたとばかりに翌日ニューヨークタイムズの別会社である本屋が文庫本で出版しました。早速文庫本で出版したんです、僕もそれ思っていますが、早速出版した。国家の秘密がバレた、大混乱が生じたか?何も生じなかった、何も生じませんでした。で、国家が危うくなる大問題、これを秘密にしなきゃ大変なことになる、これを秘密にしなければ国が潰れるなんて大変な事を言いながら、発表をつぶそうとした。出てきた文書は、あれやこれやとペンタゴンから見たベトナム戦争のある一定の歴史の分析ですね、特に軍隊の命令系統の等々。そういう文書、それが秘密だ秘密と言われていた文書。結局文書としては、秘密かどうかということは無関係。というのは何もベトナム戦争は、それによって遂行不可能になったわけじゃないし、精々の所、あの司令官の出した命令はおかしかったというような議論が出没するだけ。だから一番最初にこれを暴露したエルズバーグは、結局これで自分の市民としての一国民としての一ジャーナリストとしての義務を果たした。秘密であるべきではなく国民が議論すべき、ベトナム戦争を続けるのだったら、いろいろなベトナム戦争の真実を知る上で、決定的な文書である、ということがわかっただけ。そのことによって国家はベトナム戦争の遂行が不可能になる等々というような理屈は成り立たないということがわかった。本当にその文書はペーパーバックでごく一般の人が列をつくって買ったんです。
買って秘密だと言われていたものなんだと見てみたら、そういう分析の書物であるにとどまりベトナム戦争はそのまま継続された。それもあって、ベトナム戦争を続けること自身が非常に困難になっていったから、その文書が発掘されることによって、ベトナム戦争終結を招く一因になった事は確か。僕はそのことをいつもいつも考えるのは、国家にとって秘密というのは何かということ。国家が、国家というのは今何かというとニクソン政府ということです。

で、僕が今回日本のことで言っても、特定秘密保護法案なるものは、法律になったら大変なことになる、微に入り細をうがった法律を作ろうとしている。ややこしい法律を作ろうとしている。そして一面困ったことに、研究者の中にも、秘密保護の法体制は非常に不完全であるから何かの機会に直す必要があると。今回の場合もそのような要請に応えるように修正させようじゃないかという話になるのです。

今のところ、考えられる状況、これはジオポリティクス、地政学的な状況の全体の構造を、僕は知らないけれど、戦争が起きて改めて情報を秘密にしなければならないという状況にないし、今だからいろいろな事件がいろいろと向こうから言われながら、そして向こうの言い分は、アメリカから情報をもらえない、なぜならばアメリカは日本はスパイ王国である、東京はスパイ王国であるというようなことを何回も今まで言ってきている。
80年代には、国家秘密保護法という法案が出された。1年、2年、3年、4年、5年かかった、ついに廃案になってしまった。その時の戦いは、相当なものでした。特に、有力な市民の人たちの一つを言えば、クリスチャンの人たち。
その裏側に日本の護国神社国営法案という、天皇靖国神社を参拝してもらうことを可能にする法案を出して、がたがた70年代80年代はそういう時代であったけど、80年代になるとどんなものだったか。
(聞き取れない)
我々は何をしてきたか、我々はどんな戦いをしてきたか。しかし、これを僕たちはつぶしたんですよ。それが今度は特定という、前の時は国防軍備ということだけを中心を置いた法案だったんです。今回の場合はそうじゃなくて、特定という形容詞がつけているけれども、様々なものが秘密になるような道筋をつけている、それだけでも問題。それをどのように最後の段階で、必要な段階で、人々に、一般に国民主権者に見せるかということについて、30年間、いや30年以上たっても、未来永劫秘密にするというような考えを見せる、そのような法案は、これは憲法九条があった上での国家秘密保護法に比べたら問題にならないほどに強烈な、そしてそれを持っている深刻な意味は、九条をないがしろにするという意味、九条改正に直結しているという風に考えるべきであろうと思います。

ということで、これはあそこを直したらいいという種類のものではなくて、これはまさに象徴的な意味があって、憲法改正のための内堀が埋められるような、何としてもここで我々は踏ん張ってこれを亡き者にしなければならない。いろいろな形でもっともっと僕たちは結集して、もっともっとこれに集中して運動を起こすほかない種類のものである。だから、少々あっちを改正しこっちを改正し、人の数を集め議員の頭数を集めたらなんとかいくだろうというような、どうしたってそうなるだろうなという風なことを僕たちは考えてはいけない。これは何としても潰す。内堀が埋まろうとしている象徴的な政策の一つである、と思っております。

断固これに対してご注目いただき、断固これに対して戦いをするように、小さな小さな戦いかもしれませんが、何としてもこれは止めるべきです。
こういうのやったら大変なことになるのだ、という風に思っております。

澤地久枝さん

こんにちは、澤地久枝です。
今、奥平先生は特定秘密保護法関連で、かつてのアメリカのニクソン政権の時のペンタゴンペーパーですね。エルズバーグっていう国務省に勤めていた官僚ですが、その人が、いかにニクソン政権が嘘をついてるかといういろいろな記録、いろいろな記録がありますけれども、それを盗み出して渡した。そこからニクソン政権側は法的措置でそれを取り締まろうと思った。あの時、印象的なのは、アメリカの人々の反応もありますけれども、ニューヨークタイムズワシントンポストと両方が、編集局長がいて、その上にオーナーと言うか経営者がいるわけですね。この編集局長が逮捕されるかもしれないけれどやろうと思い、特にワシントンポストの方は、経営者が女の人だったんですね。でも、みんな腹をくくってやろうということになった。ここはアメリカというのは非常に勇気がある国だと思いますね。その結果、エルズバーグの資料はオープンになってみんなが読めるようになった。そしてエルズバーグは捕まるわけですね、ニクソン政権の官憲によって。法廷に入っていく時に、彼は愛妻の肩を抱いて夫婦で入ってきて、そしてベトナムでいま起きていることを考えたら、私の勇気は遅すぎたぐらいだと言ったというんですね。私はその話を本当に身にしみることと思って知ったのは、私は沖縄が返ってくる時の、よく密約事件と言われますけれども、日本政府がどんな秘密を持っているかということを暴いたために、だんだんとそれが社会党の横路さんの国会質問の方へと資料が流れていって、この結果、毎日新聞の記者と外務省の女性の事務官とが捕まって、事務官はもう本当にすみませんということで、最初から、我から罪を認めるという感じだったんですね。新聞記者は最後まで戦って、全部終わってしまった後、第一審は無罪だったんですよね。国家公務員法をいくら適用しても、これは本当に取材をしたいという記者の当然の情熱だろうということで、第一審は反動的だと日本の裁判のことを言うけれど記者は無罪なのですね。片方の最初から懺悔の形みたいな事務官はもちろん有罪で、この人は控訴なんかしないのですね。私はずっと法廷に通っていて、それをつぶさに見ていたわけですけれども、それで密約という本を書きましたけれども。それをやりながらね、エルズバーグの勇気、取材をした新聞記者たちのすごい勇気、努力。新聞社が、最終的な判断をする時に、どうするか。国家権力と向き合ったんですよね。その時に揺れて、やっぱりお上の言う通りにしようということにしなかった。それは私にとってはとてもうらやましいことでしたね。民主主義の国としての歴史が違うといえばそれまでだけれども、でも日本は、なぜ密約事件なんていうものが起きるのか。そこで被害者という顔をして動いている1人の女の人は、全く検察側の証人みたいでしたね。私は本当に万感こもごもで法廷に通っていたことを思い出します。
奥平先生は国とは何か、国家とは何か、しきりに言っていらっしゃる。私は、この特定秘密保護法案が出てきた時に、新聞1面に全部出たので全文を読んだんですね。私は頭が悪いということがありますけれども、読んでも読んでも意味がわからない。特定されないんですよ、特定と言ってるけれども。ここからここまでを秘密扱いにするとか、この人間を秘密を扱える人間にする。こういうことに違反をしたら、懲役10年ですからね。懲役10年罰金なら一千万円。それから直接関わっていないけれども、何らかで、その秘密漏えいに関わった人は、懲役5年と罰金五百万という。こういう罰則がね。主犯みたいな人が10年と一千万で、サブの端っこみたいな人も五百万と5年というように罰則がきちっと出ています。だけど、法律そのものとしては、あんなに無限定でどんなこともできるような法律というのは、前代未聞であろうと私は思います。
奥平先生が、国家という言葉をお使いになったけれども、私は、かつての満州、現在の中国東北部ですけれども。日本の敗戦を満州吉林というところで迎えました。今の中学3年生でした。私はその一夜のうちに思ったことは何かというと、国というものは一晩のうちにかき消えてしまうということです。本当によく考えてみたら国と言ったらこれですという物はないですね、触れるような物は。だけど一晩のうちに全部なくなって、住んでいるところ、働いている父親の職業、その頃は臣民ですけれども、帝国臣民の安全、生きていくための道筋、社会として、ゆりかごのように、日本人は、こういうふうに支えていかなければならないという様な物は全部吹っ飛んでしまって、国がなくなったとその時思ったんですね。それくらい一旦ことがうまくなくなれば、あの馬鹿な戦争をした後で、もうこれは負ける以外にないというときには、国家は責任をとらないんです。消えちゃうんです。
だから私は、本当に残念ですけれども、14才の時から今日まで国というものを信用していません。だけど、私は何でそれじゃこのような席に連なるのかと、これは矛盾してますよね。でも私は、国はもう信用しないけれども、そこで生きている私たち人間というものを大事に考えたいし、その人間がいなかったら国なんて多分ないですよね。だからこういう会にも参加をしているんだと、私は国というものに対して非常に否定的なんです。
私は2004年だったと思いますけれども、6月10日に九条を守る会が発足しました。4人の方が早くも亡くなられましたけれども、私は日本の政府というのはね、非常に挑戦的だと思うんですよね。九条の会が全国にね、もう七千を超える数できた。非常に広がってきたわけですね。それから、2年の何ヶ月か前に、福島で原発が爆発しましたね。反原発の運動というのは、これはまた憲法九条よりももっとストレートな問題としてみんなをとらえているから、反原発の会も非常に盛んですね。政治をやっている国の人たちにしてみれば、早くこれを潰したいのですよね。憲法九条を守る会なんていうのはとんでもないと思っているわけですよね。96条を変えましょう、つまりどうやれば憲法を変えられるか。変えるための方法は、衆参両院の全議員の3分の2以上が発議して賛成をした時に、初めて国民投票にかけられる。国民投票は多数決ですね。そこへ行くまでの道が高くて深くて、私たちは68年の戦後の歴史の中で1度もそこに到達したことはないじゃないですか。でも政府はね、自分たちのやりたいことをやりたい。今、安倍さんは自分は圧倒的な支持を得て出てきたと思っているんですね。そんなことはないです。棄権した人が4割以上もいるんですから、あの人は圧倒的な支持なんかないのですけれども、ともかく早くやりたいんです。何をやりたいかと言ったら、アメリカがいろんな注文を出している。これは秘密の交渉の中のことですから、私たちには見せられないですね。でも、アメリカはね、いろんな戦争を戦後やってきましたね。朝鮮戦争に始まって。そして今もイラクにもアフガニスタンにも軍隊が出ていって、国家予算も大変だし、国内の人気がどんどん落ちてるわけですよね。自分の息子や娘が、戦死したという広報がいつ入るかわからないというような状態。それからアメリカの国家予算の中の防衛費というのは膨大ですから、それがもう今限度であって、これ以上のお金が出ていくことには耐えられない。一番簡単に何を考えるかといったら、最近は違いますけれども、経済大国と言っている笑いが止まらない日本からお金を引き出そうというのがアメリカの基本姿勢ですね。思いやり予算というものがありますよね。今、日本の防衛費は来年度は5兆円に近くになるんですよね。 GNPの1%と言っていた時のGNPよりもはるかに大きくなっている数字の中で1%ももう守られないし、誰も1%じゃないじゃないかと言わないでしょう。そういういくらでもお金が出せるような国からお金を取ろうと思っている。沖縄は酷いと思います。アメリカのやろうとしていることに、日本の政府がどれほど何でもお従い申し上げます、という感じだと思うのは、最近レイテに台風が直撃しましたね。タクロバンという東海岸は本当に全部潰れたというような酷い被害が出ていますけれども。でもその時に私ね、本当にえらいことだと思いましたけれども、私の中に針のように刺さったものは、自衛隊が千名行くというんですね。どういう移動手段によってレイテに行くかと言ったら、オスプレイに乗っていた人たちがいるんですね。沖縄ではオスプレイが来るのに対して非常に怒っているわけじゃないですか。二機来るという時にも反対した。だけどそれを無視して今は十機くらいは駐屯していて、何をやるかといったら岩国あたりでやる演習に参加するんですね。沖縄の海兵隊が本土の演習に参加するときにオスプレイで移動するんですね。でも私は軍事的なことはファッションじゃないと思うんですよね。何もその5機で移動しなければならない、或いは軍艦1隻で移動しなければならないなんてのは、基本的に私は演習にも何も反対だけれども、それでもいいじゃありませんか。でもオスプレイがいっぺんに1千人も運べないのに、しかしオスプレイという。あれは結局、アメリカの軍事産業にとっては、よだれが出るほどおいしい話なんだろうと思うんですね。いくら覚えて忘れてしまいますけれども、あれを一機作るのに何十億とかかるんですね。そういうものをアメリカ全体で100機なんか持ってないんですよね。何十機といっても、50機より下の方の数字しかオスプレイアメリカでさえもない。なぜかといったら予算がしっかり押さえられているし、他のこともいろいろやらなければいけないから、オスプレイだけをどんどん作るわけにいかない。それで最初の見本みたいなオスプレイを日本に配備したんですね。私はね、今の安倍内閣は、私たち九条の会がこの歳月一生懸命九条を守ろうと、今の自衛隊をもっと、あれは憲法違反ですから、もっと小さくするように、あれをなくしたら変わる物として災害派遣隊というものを税金で作ったらいいと思うんですよね。しかし、そういうことに対して、政府は何とかして憲法九条というものにこんなにこだわってる日本人の気持ちというものを無視したい。それから憲法変える手続きというものをもっと簡単にしたい。だけども、どうもこれは市民運動などというものがどんどんできてきて沢山になって簡単ではないと思ったんですね。どうするかといったら、事実上、憲法を骨抜きにして憲法を乗り越えて、やろうと思っていることができればそれで結果はいいじゃないか。これね、政治家というのはこういうことを考えるのだと思うけれども、あの人たちは論理なんか考えないから、それが何を招来するかも考えないからと言って、私がいつもこういうところで怒っちゃうと、何を考えてたのかと思うくらいなのですけれども、そういうことを考えてるわけです。そしたら特定秘密保護法案の中で、一番の本質はね、アメリカが日本にやらせたいと思っている役割を、日本は自ら進んでやろうということだと私は思うんですね。だから、尖閣列島問題というものがありますけれども、どっちかといったら日本が先にやるんじゃないかと思っていたけど、一発砲弾が撃たれたり、一つのライフルが撃たれるということになって、もっと大勢を殺傷できるような武器が使われたら、必ず相手があってやっていることですから、反応がありますね。そしたらそこから戦争じゃないですか。そういう一触即発というけれども、尖閣列島は危ないと思ってたんですね。あんなに日本の公安の船が国境線を越えていって、中国の船がよって来ると、その鼻先で警告をするということはね、外交はどっか行ってしまいましたね。話し合いによって解決をするということを、日本の戦後は、本当は採用したはずですよね。だけど公安という公安調査庁という、これは警察自衛隊が発足した時にできた組織ですけれども、そういうものがね、あんなにね、相手も挑発されると出てくるじゃないですか。そういうところで本当に船の舷と舷がふれあうほどやってるというような状況を作っている。その時に、戦闘状態が起きてしまえば、これはそれを望んでいる人たちにとって思うツボですね。一旦戦闘が始まってしまったら日本も助けなければならない。見方を見殺しにできないという理由で、どんどん増派を軍隊を派遣しますね。そのための自衛隊の武力というものすごいものがあるわけですね。アメリカは、今は、中国と韓国との間を、平和に保って良い関係にしておきたいと思ってます。だけど、いま日本は中国とも韓国とも、関係悪いですね。で、それはやるなら勝手にケンカをやりなさいとアメリカは思っているんですよね。アメリカだって私たち市民のレベルで話をしてみれば、戦争はダメだとみんな思ってます。戦争はいらないと思ってるんですよね。それから、日本の憲法というものは、どういう言葉を持っていて、この言葉が日本の戦後の歴史をどれくらい拘束してきたかということをね、アメリカの人たちは知らないんですよね。でもね、もう今私たちは、アメリカの意志ある市民ですね、ちゃんと自分の考えを持っている人たちと交流をして、明日といっても、そう言っているうちに21世紀も10年以上たってしまいましたけれども、どういう明日どういう未来を私たちは今、大人である人間は明日のために何をどんな未来を用意するかということについて、もう政治家には任せておかないで市民のレベルで話し合いをするという、時代はそういうふうに変わってきてると思います。安倍さんはそうなるのは怖いだろうと思います。私は女の人も困ると思うんですけれどもね、安倍さんが出てくるとね、安倍さんがまだ書記官長か何かをやっていた時に、「ああ、安倍さん」といって、女の人たちがすり寄って行ったということをね、今から5年か6年前に私の本の中に書いてあるわけですよね。女たちはどうなってしまったのかと私は怒ってるわけです。戦後、人権を認められ、男の人と同じ対等になって選挙権も何も与えられて、さらにこの前の第二次世界大戦で銃後といわれる女の人たちが、どんなにつらい災厄を引き受けて、それを乗り越えてこなければならなかったか。つまり栄養失調、餓死寸前の問題もありますね。夫が戦死したとか子供が死んだとか。女の人たちは黙って農業したり、日雇い仕事をしたりしながら受け継いで生きてきたわけですね。でもそれを私は第1回の母親大会の状況を思い出しますけれども、私はこうやって生きてきたという行列をしておられるんですよね。マイクは奪い合いでした。みんな本当に泣きながら戦争中の話をします。取材に来ている両側にいるカメラマンや記者は、例外なく男性たちだったんですよね。ひょっと見ると、その取材者たちは皆泣いていましたね。私は泣いてるところからは何も生まれないと思ったけれども、でもそれが戦後の日本の原点だったと思うんですね。だから、この九条を守る会も女の人たちのそういう世代が変わっていますけれども、おばあさんとがひいおばあさんがこぼした涙が、孫やひ孫の胸の中に落ちていて、そうだと、あの辛い、本当に踏みにじられたような歴史から生まれたこの社会、もう戦後はいりませんと言うけれども、しかしあの経験というものを私たちは引き継いで生きていかなければならないと、思うようにしなきゃならないですね。今日もそんなに若い人はいらっしゃらないけれども。戦争は知らないって皆平気で言うんですよね。私はこの頃つくづく思うのですけれども、60年安保の時、あなたはどうしていた?こんな話をするじゃないですか。私はその時こうしていたとかいうでしょう、国会の中にいたとかね。だけど60年安保というと生まれてませんと言う人がね、もういいお父さんで孫がいるって人たちになっちゃったんですよね。だけどその孫たちに揺さぶってでも日本の歴史というものをね、それから私たちが持っている憲法というものをね、伝えていかなければならないと私は思います。
今日ここに持ってきたこれは、沖縄で出た憲法手帳です。これね、1972年沖縄が日本に帰ってくることになった。それまで憲法は沖縄にはなかった。今度沖縄本土に復帰する。1972年の5月15日に沖縄憲法普及協議会というところが出した本で、私はいつもこれを見ると感心するのですけれども、この中にはどういうふうに憲法が作られてそれはどういうふうに良いものかということが書かれています。一番最初にあるのは屋良朝苗さん、当時の沖縄県知事です。沖縄復帰のお祝いの会には欠席をした人ですよね。この中には日本人は、個として認められるということからね、人権というようなもの、それから平和というところでは九条というものがちゃんと書かれています。憲法のなかった沖縄を沖縄の人たちが思い出すようにそこから書き始めて、この解説的な憲法案内は良いと思います。そして憲法というものの前文があり文書があります。私はこれで関心したのは、その次に欽定憲法明治憲法がちゃんとあるんですね。大日本帝国万世一系天皇がこれを統治する、に始まる憲法。つまり皆が比較できるように旧憲法がその次にあるんですね。これが非常に行き届いていると私が思っているのは、憲法の後に教育基本法があるんです。これをやるためには教育が非常に大事であるということで教育基本法があってね、全て子供は個人として尊重されるという、もう今は聞かれなくなったような教育基本法があるんです。これは1947年に出た教育基本法で、沖縄の人たちはアメリカの教育のもとで、こんなものには関係がなかった。だけど日本に返っていけば、こういう教育基本法があるのだというふうにして、教育基本法があります。その次に関係があるものとして、何があると思いますか?児童憲章があるのですよ。児童は人として尊ばれると第1条にありますね。こういう児童憲章があるということはね、旧憲法の時代から27年経て憲法のある時代へ来ようとしている沖縄の人たちにとって非常に新鮮だっただろうと思います。そもそも日本の戦後というのはポツダム宣言から始まるということでポツダム宣言があります。それから日本国との条約ということで、サンフランシスコの平和条約の文書があります。同じ日にサンフランシスコの別の建物で結ばれた日米安保条約があります。その全文があります。この安保条約の中で沖縄は切り離されるわけですね。なるほどここだというふうにわかるように、全部あるんですね。私はね、これはね、沖縄の人たちにとって勇気の源として必要だっただろうと思います。こんな小さな本ですよね。1972年に120円で売ったんです。沖縄の人たちは、こういうところを通ってきたんですよ。今ね、沖縄の人たちは本当に、日本政府は、どんな反対があっても普天間の基地を譲らないという、この前の戦争の戦利品としての普天間を譲らないと思っているアメリカに対して、それじゃあ日米安保条約地位協定を変えましょうと、つまり普天間基地が帰ってくるための手続きをしたいと、日本政府は言う気はないんですね。さらには辺野古には、沖縄が返ってきた時は核兵器が置かれる基地の一つとして辺野古があがっているんですね。で、その辺野古アメリカは易々とは返さないですね、県外に作ると言ってもね。それも、そもそも法律ではどうなってるのかということを、ポツダム宣言から始まってずっとやってきて、だからもう我々は冷戦も終わったし、もうアメリカと対等な国として話し合いをし、そして基地はもうなくす、自衛隊の力も落とすということを実現して、そして初めて辺野古を基地にすることから免れると私は思います。いま工事がどんどん進んでいます、辺野古の周りにコンクリをうって。だけどそれをみんなは反対だと言ってるけれども、やめさせるためには、この国を骨がらにしっかりと掴んでいるこのアメリカとの関係、そして国内法を変えなければならないですね。さらに今その特定機密法案なるものを作って政府筋がどんなことをやろうとしているかというものを、これに反対する以外ないないと思うのですね。
私はつい早口になりますけれども、2000年が来ると満70才になると、ある日ふと思ったんですね。その誕生日の日にね、詩みたいなものを書いたんですね。自分の生まれた月のことから書いていって、1945年8月敗戦の日、14才。あの日を境にそれまで頭上を覆っていた国家と軍隊、それに連なる一切が綺麗に消えていった。難民の1人となり同胞の辛酸の傍らで何も力になれず、我が身と我が一家の生き延びる道を探した1年間。子供が大人以上の責任を負い、試練にさらされた日を、どうして忘れようか。政治に対する私の初心は、難民としての体験から芽生えた。それから55年、変わらず変わりたくない頑なな私がいる。自衛隊憲法に違反し、新世紀に日米安保条約が見直されるべき。このごく常識的な発言をするのに、勇気を試される時代がついに来た。信ずるままを飽くことなく言う。それ以外私のような人間には生きていく道はない。投げつけられる非難の言葉はバカであったりアカであっても、それにたじろぐまい。無視され阻害されようとも、私は私の道を行こう。全ては個から一人から始まり、いかなる一人になるかを決めるのは己自身である。今あえて掲げようとする旗はささやかで小さい。小さいけれど誰にも蹂躙されることを許さない私の旗である。掲げることに私の志があり、私の生きる理由がある。これが2000年9月3日に私は書いたささやかな誓いですね。こういうね、それぞれの人が自分と話し合いをして、どんな人生を生きてきたか、それが例えば14年しかなくても私のように80年を超えていても、わが人生てものを振り返ってみて、それで国との関係も考えてみて、これからどう生きていくか、自分はどういうその中での立場を役割を果たしていくかということを考えていく。それ以外に、今国家権力という大きなものが、私がいくら認めないと言ったって鼻の先で笑ってね「あなたが認めないと言っても国が絶対だ」と言うでしょうね、あの人たちはね。でも、こういう憲法はすごい危機のもとに今ありますよね。九条なんかふっ飛ばして、96条も骨なしにして、この国がアメリカとの同盟軍として馬鹿な戦争に、いつ終わるかわからない戦闘状態に入っていくという、その前夜に今私たちはいると思います。
核の爆発の後、日本政府は全く無力で何もしていない。さっさと収束宣言なんかを出して、誰をどう救済するかもない、こんな国がありますか。しかも、その原発をトルコに輸出しようと思っている。トルコだけではなくて、インドやそれから他の国にも輸出、売りたい。自分の国で4発の原発が爆発して、十何万の人たちが現地を離れて帰っていく日はないですよね。はっきりそれを言うのは怖いわけです。はっきり言ってしまったら、完全に補償しなければならない。でも、日本政府は四の五の言って政府がやるべき補償のお金を出し惜しみしていますね。こんな馬鹿なことはないです。福島のためには、私は税金がいくら使われても仕方がないと思います。しかし、東京電力のためになんか1円も出したくない。でも、そう言いながら電気代は上がってるんですよね。こうやっていつの間にか私たちはしてやられるのね。でもしてやられたくないですね。私はやっぱり明日も大間原発の会に行きます。もう私が何かを言っても力になるとは思っていませんけれども、でも言わなかったらどういうことになるのかという気持ちもあります。今日皆さんがこうやって来て話を聞いてくださる。十分な話はできないけれども、私一人が何を考えているのかということをね、皆さんに聞いていただきたいと思って今日来ました。どうもありがとうございます。

大江健三郎さん

大江健三郎です。実は今朝早く奥平先生や澤地さんとご一緒に、このビラがありますが、その前に座ってお話するはずでありました。ところがその時私はどうしていたかというと、私の家に、2階が書庫に本の倉庫になっておりまして、そこに小さなベッドを置いて寝ております。そこに居たんです。そして、どうしてそのようにしていたかと言いますと、私は10日ほど前に自分のおそらく生涯最後の小説だと思いますが、晩年様式集、イン・レイト・スタイルという本を書きまして、それで小説は終わったと考えています。そして自分のしたいことをする。この会に出るということはしたいことの中心なのですが、もう一つ。書庫を整理するということを始めたんです。毎日朝早く起きまして、ずっとお弁当を家内に作ってもらって、それをもってそこに入って本の整理をしているんです。昨日は、私の先生の渡辺一夫という方の関係の本を整理することにして、自分の人生で一番大切な先生です。そしてそこに入って整理を始めました。お弁当を食べてずっとやって、だいたい終わったんです。よく働いたと、明日は大切な仕事があるんだ、だからもう寝ようと自分に言いまして、ベッドに横たわった瞬間に私の家内が血相を変えてと言ってもいい状態で私の書庫に入ってきたんです。そして何をしているんですかと。僕は明日大切な仕事があるので、これから十分寝るんだと言ったんです。本の整理も終わった。これから寝る、じゃおやすみ。家内が、あなた明日何をするのと言ったので、九条の会の日本中から集まってこられる人たちの討論会を聞きに行くんだ、自分もちょっと話すんだと言ったんです。それはいつ?と家内が言って、明日と。家内はですね、流行語を使ったことがない人です。そしたら僕に「今でしょ」今でした。死ぬ思いで起き上がりまして、タクシーを呼んできて、ここにやってきました。
お話は1時間は伺ったんです、討論会を。それは非常に重要な話でそれを皆さんが熱心にお聞きになりました。私も聞きました。澤地さんも一緒に聞きました。そしてそれが一番良いメッセージとして、私どもの今日の集まってくださった全国の九条の会の皆さんにお伝えすることだと思いました。私は何を話そうかと、思いまして、小説家ですからね。こういう時すぐのんびりしてしまいます。私は二つのフランス語について話をしたいと思います。昨日ずっと先生のフランス語の本を整理していましたから。
一つはですね。リーブル・エグザマン(libre examen)という言葉で、自由検討、自由に検討する。リーブル、自由、エグザマン、検討する。このリーブル・エグザマンというのは渡辺一夫という私の人生を決めてくださったような先生が研究されたフランスのルネッサンスの一番重要な言葉です。そのことをまずちょっとお話しますが、私は自分の人生に二つの分岐点があったと考えています。一つは、10歳の時にこの国が戦争に敗れました。そして翌年、新しい憲法が公布されました。私は11歳でした。12歳の時に憲法が施行されたわけです。そして、私はもう田舎の四国の森の中の小さな村の貧しい家です。父は死んでいました。もう進学することはできないと考えていました。そこでのんびり別の方向を考えるのが私の性格でありまして、今日フランス語について話そうという、変なことを考えていたのと同じです。自分は森の仕事をしようと。私の家は曾祖父の時代から村の森の仕事をしてきました。それをやろうと思っていたんです。父からもらった大きな植物図鑑、森林図鑑、樹木の図鑑を読んでいました。大きな本です。しかも英語で書いてあるんです。さて、そのように決めていたのに、戦争が終わって大変なことになったと思って、特に原子爆弾が広島に落とされたということが一番大きいことで、日本全体がそういう爆弾をあと10個も落とされればおしまいじゃないかと私は考えて、非常に恐怖を感じていた。それが2年経つと新しい憲法というのができた。そして村でもですね、村の人たちが女の方もおじいさんやおばさんも新憲法ができたから大丈夫だと言うんです。そして、私はその憲法という物を少し読みましたし、教育基本法という物も読みました。驚いたことに国家と地方自治体が私の味方であるということを発見したわけです。私はお金がないということを母に言われたので、もう進学することは諦めて森の研究をしているわけです。大きい森林図鑑、樹木図鑑を読んで。ラテン語の木の名前がありますからね、ラテン語だけはちょっと勉強しないといけないと考えてるようなのんびりした子供だったんです。それがもう教育基本法を読みますとね、こういうことがあった。勉強したいと思い、その能力がある子供が居て、教育を受けることを望んでも経済的に不可能ならば、地方自治体或いは国家がそれを援助しなければいけないと書かれている。それが国民の権利だと、憲法にある国民の権利ということの一番大切な条項と僕は思いましたが、憲法の九条も重要ですが、この人間の権利という条項。そして教育基本法にある、勉強したいと思ったら、国と地方自治体に行けばいいんだということを知ったのは、私は本当に自分の人生が変わったと思ったのです。それで母に言いましたら、母は疑っていました。地方自治体といえばこの村だし、国というと日本という国だけれども、それをどこに行って言えばいいか。あなた分かってらっしゃる?と言う。僕はわからないから、村長のところ行って言えばいい。だから母さん一緒に来てくれと言って役場に行ったんです。そして今のことを母が村長さんに言いました。私の方では経済的な援助はできない。村長はそう言われた。そうすると私はですね、あなたは教育基本法に違反している。それはひいては憲法違反です、と私は言ったんです。非常にびっくりしましてね、じゃあ国の方に言ってくれないかって言われた。どこへ行けばいいかわかりませんから、国というところどこにあるかと。やっぱりあなたが考えてくれと言いましたらね、教育基本法を持ってきて読んで、本当にあの坊やの言う通りだ、ちょっと待ってくれと言って、家に帰って奥さんに頼んでお金を出してもらって、それを持ってきて私にくれたんです。それは3年間東京に来て下宿に入って暮らせるという額のお金でした。なぜ3年間かはわかりませんが、とにかくそういうものをもらって東京に来たんです。そして、学校に行って渡辺一夫という先生に会ったんです。フランス文学の先生でした。この人が教えられる通りに生きて行こうと思ったんです。ですから戦争が終わって憲法ができて、村長が教育基本法に従って借金して私に金を貸してくれた。それで学校に行くようになった。そして、私が習おうと思ったのは渡辺一夫という人の本を読んだからで、その学校に来たんだと思って教室の中に入って第1時間目を待ってますと、先生がやってきました。綺麗な外套を着ていて、その外套をですね、くるくるとまとめて床にバンと置いて、授業を始められました。あんな綺麗な外套を僕たちの授業よりも大切に思わない、そういう人が渡辺一夫だと思いまして、私はよかったと思っています。その先生に習ったんですが、その時先生から教わったことで、人間はリーブル・エグザマンという言葉を16世紀のフランスで大切に思ったんだと。それは、今まで人間が作った法律とか制度とか仕組みとかという風な物が、本当に人間らしくないということを発見した時にそれを自由に考える、ギリシャからローマから、そして中世から現代までルネッサンスを越えて近代、近世を超えた物であっても、その考え方が今行われてる制度、やり方が、国の方針が、人間らしくない人間らしいことと違うと思ったら、それをはっきり検討して議論して作り替えることが一番人間らしいことなんだと、それが人間が生きることの根本にあるんだと、本質的な物だと先生が書いておられる。私はそれはその通りと思ったんです。そのように生きていたいと思った。その先生のところで3年間勉強しまして、もう金がなくなってどうするか。そこで私は小説を書くことにしまして、小さいもの書いて東大新聞の懸賞に応募しましたら、一番になりまして、3人しか応募しませんでしたから。そして私は一万円もらったんです。それで自分の人生の方針を変えまして、大学で勉強しようと思ったけれど、お金がなくなったからやめると。これからは小説を書いて暮らすことにしようと決めまして、現在ここに至っております。リーブル・エグザマンということは人間らしさということで、それをフランス語ではユマニスムという。ヒューマニズムですね。人間らしさということが何よりも中心なんだと。人間らしさを作り出すのだけれどもすぐ人間はそれに対して違った考え方、非常に硬化した堅い人間らしくないことを考え始めるのだと。それをいつもいつも自由に検討し続けるというのがリーブル・エグザマンという思想であって、ヒューマニズムという物であって、フランス語で言えばユマニスムであって、それが人間にとって一番重要だということ教わった。そしてそのように生きてきたと私は考えているんです。それが最初のフランス語なんです。
福島で大きな事故が起こりました。それは本当に恐ろしいことで、事故を起こして地面の中にほとんど沈んでいった放射性物質の塊は、今も地面の中に沈んだままです。それはある大きい熱を持ってるわけです。それがどんな状態でもう一度地上に放射能を放射するかもしれない。もっと大きい爆発を起こすかもしれない。しかも、私たちはそれを今、あの時日本中の人たちが反省したんです、原子力発電所という物は根本的に危ないんだと。これは本質的に人間の根本的な物に反するものなんだから、それをなくさなければいけないと、いうことはですね、日本人のすべての人たちといってもいい、その人たちの小さい子供だって、そのことをお父さんやお母さんから聞いている。原子力発電所はやめなければいけないということは日本人全体の考え方であった。感じ方であったと私は思います。そして、それは今もですね。例えば、新聞社がアンケートをすると、どんなにその率が少なくなっていても70%の日本人が原子力発電所に反対です。それを今廃止する方向に働き始めようというのが皆の意見です。ところが、それに対して今の政権は、原子力発電所を続けていく。外国に輸出し、原子力発電所によるエネルギーというものを根本にして、日本人の生き方を決めようと考えている人が首相です。そのことを自由に彼は話しています。今はこそ例えば日本の憲法を、96条をまず変えてという風な言い方は大きい反発があったのでそれを引っ込めてしまいましたが、しかし憲法を変えなくても今の原発を中心にしたエネルギー政策或いは軍事政策というものは進めていくという態度を首相は持っている。そしてそれを国民に押し付けようとしている。そしてそれを根本的に間違ってると彼は反省する様子ではない。ところが今もですね、70%の人たちが確実に反対だということがはっきりしている。アンケートをすると。
そしてもう一つ、非常にはっきりしてることはですね、この九条の会です。全国に九条の会があります。そして非常に多くの人がそれに参加して自由に働いてくださっています。現在も数多くの人たちが全国から集まってくる。この場所で、いや日本は今の憲法を作り変えなければいけないんだと、軍備もしなければいけないんだと、原発のエネルギーも非常に大切なんだと、それが日本の新しい国家の選び方、進み方なんだということを言う人が居れば、そういう人は非常に強い声で反発反駁を受けるでしょう、論破されていくでしょう。今の先生方が話されたお話を皆が信じていることですから、我々の共同の知恵ですから、それを皆さんは示されるでしょう。
ところが、政府はそうではない。そういう時にですね、私はこれはですね、政権の問題、政党の考え方の問題ではないと私は思う。それは人間のですね、根本的な、人間とはどういうものか、どのように生きていくものか、どのように生きていかなければならないかという、一番根本的な考え方という問題だと私は思うんです。そのことをですね、あるフランス人の小説家が、私もかなりよく知っている人ですが、彼の文書の中で言ってる言葉があってそのフランス語を私は引用したいんです。彼が言ってることはですね、私たちがやらなきゃいけないこと、今現在生きている人間がやらなきゃいけないことはただ一つだと彼は言うんです。それはですね、今私たちが生きていくことのできるこの世界、この環境というもの。そのまま次の世代が生きていけるように保って次の世代に渡すことなんだと、これが私たちの根本的なモラルなんだと彼は言っているんです。ラ・モラル・ドゥ・レサンシエル(la morale de l'essentiel)と彼は言っていますが、エサンシエル(essentiel)、一番本質的な一番大切なもの。としてのモラルだと。モラルと言うと人間の倫理とか道徳とかいう風に私たちは訳しますけれども、それはもっと具体的に言えば、人間が一番大切にしなきゃいけないものです。人間が人間であることの根本にあるもの、それを根本的なモラルと彼は、ミラン・クンデラは言ってるんです。このラ・モラル・ドゥ・レサンシエル、根本的なモラルというものを我々は守らなければいけないと。それがですね、次の世代にですね、今生きていける世界を、すなわち放射能によって次の世代その次の世代が生きていくことのできない世界にしてしまうことは、我々が人間としての根本的なモラルというものに反することだと、それを私たちは絶対に守らなければいけない。ラ・モラル・ドゥ・レサンシエルということが一番重要で、それをすべての作家は守らなきゃいけないし、すべてのインテリはすべての民衆は守らなきゃいけないと彼は言うんです。で、私が申し上げたいことは、この憲法をどう守るか、国際情勢の現在の緊張の中で今の憲法によってどのように私たちは未来を守り抜くかということは、3人の先生方をはじめ皆さんが討論して確認されたことです。それに加えて私が言う新しいことはないです。ただ私が言いたいことは、私たちの根本的なモラルとしての私たちが守るべきことは、この憲法。この憲法を守り抜いていくことがすなわちですね、次の世代に生きて行くことのできる世界、時代というものを渡すことであって、その一つが、例えば現に原子力による放射能によって汚染されている、しかもその汚染が次の大事故が起これば日本全体に広がってしまうに違いない、その原子力発電所を全面的に廃止するという、私たちのそれこそエサンシエルな根本的な態度を決めることだと私は考えます。そしてそれを私たちは確認しようとしてここに集まって会議をしてるわけであります。ですから、それを議論することはですね、それを自由に政府に対しても議論することが、私は一番重要な人間の自由な思考、自由な行動であるし、それが一番根本的なモラルだと。それが私たちが保ち続けなければならない問題、そのために私達は生きてるんだと、それによって生きていくんだということをここでもう一度強調したいと考えてここに参りました。ありがとうございます。