加藤周一「夕陽妄語」メモ

夕陽妄語」は1984年7月から2008年7月まで朝日で連載。書籍になっている物のリストを作った。2007年1月から2008年7月分はまだ書籍になっていない。目次を調べたのでこれもリストしておく。新品を買えるのは夕陽妄語 VIIIと加藤周一著作集だけ。朝日には最後の連載を書籍化した時に、過去の分を文庫版にして出して欲しい。




1984

夕陽妄語の辯
『薔薇の名』読後
敦焼所感
安危在是非
『イグナティウス・デ・ロヨラ』の余白に

1985

中野好夫集』再読
「若者向け」の文化について
軍拡・オモテとウラ
シャガール回顧
ミホ神社の神事
遥かなるニカラグア
日仏会議余聞
アカマタ・クロマタ
真夏の夜の(悪)夢
日伊比較事始
旅の小説三つ
’85年回顧

1986

マラルメプルースト
二つの映画―バルカン半島から
世論調査天皇
カトリック教会の役割
「いじめ」流行
所変われば
ウシュマルの遺跡で
歴史の見方
「続投」という比喩
タバコ(と洒)の害について
西遊記
「新国家主義」の年の暮れに

1987

イタリア紀行
白馬は馬に非ず
『中村稔詩集』の余白に
ソ連の脅威」再考
野上弥生子日記私注
日本における「反ユダヤ主義
もう一人のマティス
「化けて出てくれ」
「自発性」ということ
北京の秋
提婆達多異説
日本・一九八七年

1988

日本の十九世紀
ある自由人の死
宣長・ハイデッガ・ワルトハイム
東欧紀行
ペレストロイカ余聞
歴史の見方・一八四八
民間機撃墜
「南京」さかのぼって「旅順」
嘘の効用
空のなかの黒い穴
堀辰雄または亡命作家
一九八八年の想出三つ

1989

タイの休日
文学の役割
アンディ・ウォーホル回顧展
雪の降る森のなかで
「けじめ」の意味論的考察
「七月十四日」と「巴里祭
何故原爆を落としたか
五十年後の今も
利休・二つの映画
崩れたベルリンの壁
芸術の再発見

1990

一九九〇年代のために
日米内外
淵明と一休
「やまとこころ」と選挙
画家モランディの世界
外交の季節
儒教再考
オーストラリア異聞
フランスの松林のなかで
「湾岸危機」と日本の反応
「異端」再論
「古都保存協力法案」

1991

野間宏または文学の事
『欧州における日本』を読む
戦いすんで……
「善意」ということ
真珠湾五十年と日米友好
ランボー百年忌
歴史の見なおし
真夏の夜の夢
『巨匠』という芝居
憲法・海外派兵・国際協力
宗教の役割
八月革命・その年の終わりに

1992

故旧忘れ得べき
イスマイル・カダレとアルバニア
賄賂問答
「国防計画指針」再読
ユダヤ人の生活と文化」展
聖地有感
ヨーロッパをどう思いますか
三匹の蛙の話
国の犯罪
「佐川急便」さしあたり
再見『リア王
春秋無義戦

1993

命短し
「やらせ」について
護憲の理由
回春記
映画『ペタン』の事
国籍余聞
悲報来
ビエンナーレ」の余白に
浦島所見
『釣狐』または言葉と暴力の事
山本安英伝説
冷戦の遺産

1994

中国映画三題
温故知新
翻訳の勧め
北京の春
「失言」の伝統
ある少女の眼
不思議な国で
怪談・夏
準備不足
川端康成から大江健三郎
一九四〇年の想出
ゼノンの逆説

1995

『鷲の指輪』余聞
神戸の地震
アウシュヴィッツ解放五十周年
JAMERICA計画
フレーゲの「日記」
戦後五十年決議
「美」について
原爆五十年
『エイジアン・ブルー』の事
西洋哲学事始
沖縄から「失言」へ
日本の一九九五年

1996

初夢の記
雪の夕暮に
三つの映画―バルカンから
安保条約の行く末
断章取義
シベリア虜囚から冷戦まで
ヴァレリーの想出
オリンコーラ万歳
戦後史のなかの丸山真男
カルタゴの廃墟から
牧谿からピカソ
かくしごと

1997

「心ならずも」心理について
重油流出その他
亡命者たち
多言語主義のために
チェスの名人
選挙の季節
香港所感
タゴール再見
「家永訴訟」の余白に
宣長バルトーク
老年について
同時代の人々

1998

中村眞一郎あれこれ
めでたし日本
神戸と沖縄
サライェヴォと南京
核廃絶
三星堆の青銅器
参院快挙
周雖旧邦
ある友人のために
むだ遣い体制
ルーマニア再訪
濃い霧の中から

1999

寝正月夢想
フランス人の見た日本
冷戦後の選択
国連憲章憲法・拾い読み
「笑う男」再生
ビッティの村にて
鈴木大拙と国会
辻邦生キケロー・死
二人太郎
近うて遠きもの・遠くて近きもの
オウム真理教遠聞
一九九九年末所感

2000

国学の明暗
再び英語教育について
殷鑑遠からず
蒹葭堂遺聞
狂言憲法
嘘について
逆向きに見れば
名優たちの想出
理性の復権
状況の皮肉
若沖雑談
日本は変わったか

2001

二〇〇一年正月の夢想
香港旅情
仏像群の発見
二〇〇一年四月馬鹿
この頃みやこに流行るもの
抱一の時代
外交改革
『敗戦日記』抄
ナショナリズム」再訪
ソムリエの妻
複雑怪奇
神はどこにいるのか

2002

日常性と非日常性
何も変わらなかった
半年後
春日明暗
雪舟展の余白に
「それでもお前は日本人か」
『日本仏教曼荼羅』読後
夏の怪談
喪失の劇
北京の秋
趨庭日
ニーダム・湯川・素人の科学

2003

初夢軍逆波
イラク征伐と日本
アンティゴネー』再見
髭と人参
クレマンソー余聞
羊どろぼうの話
「歴史の審判」ということ
久米の仙人大いに語る
「オランダの光」
『山姥』の他界
原則と行動
2003年回顧

2004

映画・時間について
翻訳・風流・自然
「オウム」と科学技術者
『巨匠』再見―劇場の内外
応挙と白隠
また9条
拷問の論理
夏休み・二つの詩集
アインシュタイン靴屋
チェーホフの医者
「ねじれ」現象について
日本二〇〇四年

2005

映画と空間
報道三題
60年前東京の夜
四月の夢
「すれちがい」の果てに
蕭白不思議の事
在日コリアン詩選集』読後
怪談・八月の「つくつく節」
選挙の後に
廃墟から
孫子』再訪
二〇〇五年の思い出

2006

差別について
人生の三期
愛国心について
悲しいカタカナ語
藤田嗣治私見
私が小学生だった時
『江藤文夫の仕事』について
随筆、何くれとなく
『詩本草』を読む
核兵器三題
二〇〇六年一一月
文芸批評のために

2007

楽天主義のすすめ
不条理の平等
米からの朗報
四月馬鹿
「ゴーリズム」とは何か
戦記再訪
夢一夜
「戦争は本当にあったんだろうか」
「個性」ということ
空の空
身辺の些事二つ
二〇〇七年回顧

2008

初夢名残太刀風
現代と神話
漢字文化讃
随筆についての随筆
災害の責任
さかさじいさん